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アミバ計画

アミバ計画とは・・突如編み物に目覚めたオバちゃんが、肩こり・老眼にもめげず「将来の年金額より地球温暖化が心配」などとほざきつつ「愛すべき編み物ばあちゃん」を目指す活動計画である。なお、「アミバ」とは「編み物ばあちゃん」の略称であり、某コミックの某キャラクターとは一切関係は無い。

お中元・お歳暮代わりにセーターの詰まった段ボール箱が毎年実家に届いていた

私が物心ついてから20代の半ば頃まで、親戚から毎年2回、引っ越し用くらいの大きな段ボール箱が届いていました。

その中身は、父母と私と妹用に見つくろったセーターやカーディガン。春夏用・秋冬用と毎回それぞれ2、3枚ずつくらい。

送ってくれた親戚とは、父の二人の妹です。私からみたら叔母にあたる二人は、そろってニット工場を経営する家の兄弟に嫁いでいたのでした。

そんなわけで、送られてくるのはその工場製のニット。昭和30~40年台頃はまだまだ衣料品は高くて、そんな時代に毎シーズン新しいセーターに袖を通せるというのは今考えれば贅沢な話です。

でも当時の私は、実はそのセーターたちがあまり好きではありませんでした。申し訳ないけど素材感やデザインがかなり野暮ったかったのです。

それでも、毎年増殖してゆくセーター。トレーナー(いまはスエットというのでしょうが)が日常着として流行していた頃もセーターしか着た記憶がありません。

確か小学校5年生の頃だったと思いますが、「私が着たいのはこんなセーターじゃない」との思いが高じて、お小遣いで近所の毛糸屋さんで気に入った糸を買って自分で編むことにしたのです。予算の都合でセーターではなくベストにしましたが。

その時買った糸は、ビロードのような紅バラ色の甘撚りの合太糸。メーカーは忘れてしまいましたが、色や手触りはいまでもよく覚えていますよ。

そしてなぜか家にあった2号くらいの棒針で、作り目さえ知らないのに無謀にも分散減目の計算までして編み始めたのでした。模様編み(といっても表目と裏目だけでできる地模様ですが)まで自分で考えたんですよ。無手勝流、本を頼りに悪戦苦闘、大変な思いをしましたが、何年か後に完成させました。もちろんひどい出来です。実家にはまだあるようで、何年か前に母が着ていて心底ビックリしました。

ところで、母はまったく編み物をしない人です。なぜ家に棒針があったのかいまだに知りませんが、もしかすると、結婚するまで父母と同居していたという叔母たちの物だったのかもしれません。

そう思うと、野暮ったい機会編みのセーターも私が編み物を始めるきっかけになっていたのかも知れませんね。

ずいぶん前にニット工場は廃業してしまったようでもう実家にセーターが送られてくることはありませんが、編み物を再開した今、そんなことを懐かしく思い出したのでした。

 

ではまた。